女性-みんなどこでもこどもあれやでな
山神さんはどこでもあるな、いなかは
桑にも御鏡さんあげっとったよ
終戦からこっちへちょっと途切れたでな
そんなで空襲やらで危ないでて、途切れたでな

男性-昭和19年の山神やったかな、東南海地震やったかで
女性-あれはえらかったわな、12月の7日
男性-天名小学校が地割れしたんやもん
女性-うちらそやに、道もみな地割れしてさ。わたしら小学校の低学年やろ
何が怒ったんかわからんと、立っとれやんだ。もう道へ座ったもん
そしたら運動所や道はずっと地割れ

男性-せっちゃん三年生やろ。おれ一年生や
女性-ちょうど学校から私ら帰るときやったん
ほいでから今度は年明けて、1月の12日がその余震がまた来てさ
その時もえらかった
男性-よう余震来たな。あの後な
女性-そやでそとで小屋作ってもうて。昔はどどべいがようけあったやろ
そやさかい、夜に外出たら危ないでて。どこでも田舎やで庭が広いやん



私とこら藁でずっと囲って、トタンでしてくれてさ。
ほいでさ、布団がひとつ置いてあったもん。
そいでそこで夜は寝よった。もうしょっちゅう余震は。

-それが山神の日だった?

女性-一番最初はそやった
男性-昭和19年の12月の7日
男性-それからほんとは、余震ちゅうのな。11日の夜中の地震は私よう忘れやん
こわかった
覚えとるもん、日にちも、こわかったで


-山神信仰はなくなりつつある?

女性-なくなってはおらへんな
あそこに石がこけとるで、なおさなあかん、なおさなあかんておもいながら
そのまんまになっとる
無闇矢鱈にようよういらわんで

ゲートボールをしていた女性と男性(鈴鹿市徳居町)