山神譚 17

山神いうと、あのね私らこどものとき
藁を束ねて、縄で棒にしてね、そして山神を参って
縄でね、これぐらいのあれやわ
こうしてばーっと、道路を打つんですよ
道路を打ちながら、歌をうとったったかな
こどもの遊びの一種ですけども

あれはたしか、山神と関係があったかな
今は山神は神社の横にあって、神社を参ると必ず山神を参って
山神ちゅうのは田んぼの実りを良くすることと
そいから、家内、奥さんですね
奥さんが、女の人が天から下りてきて
その土地で家族を作って
田畑を耕しながら、代々繋いでいくと
そういうことで、お参りしとんのが山神ですわ、元来は

昔はそやってして、山神をお参りしながら
藁でね、こうゆう棒を作って、叩いて
村の道をずーっと、たいがい他所の家の門口で叩くんやな
そうして、村を一巡して、子供の遊びみたいなもんやけども
山神を祀る、祈る、ひとつの子供の行事なんやな
そうゆうことは私ら子供の時はよくやりましたね
あれはなんて歌をうととったかな、どういう歌やったかな

要するに家族をな、大事にして村が栄えますようにと
祈りの言葉を唱えながらね、地面を束ねた縄で叩きながら
他所の家を、特に新しいお嫁さんをもろた家を
家の前で叩いて喜ぶちゅうのかな
昔から山神は田んぼの神さんであり
そして女の人をね、祀る神さんなんですよ
要するに家が栄え、村が栄えますようにという言葉やわな

―繫栄も?
もともとは田んぼの実りをよくする神さんを祀る、山神ですからね
それと同時に、山から女の人が下りてきて
家内を作りながら、代々子供を生んで
そして、その子供が大人になったら田んぼを作って
村がそうやってして代々続いていくようにということが
農家としては大事やったんやわな
後継ぎがなくて田んぼをよう作らんなったら
その家はしまいなんですわ

今は会社行ったりね、いくらでも他所で働く場所がありますから
関係ないですけども
昔は田舎ちゅうのは、みな田んぼを作って
代々それを繋いでいくというのが
生きる道であり、大事なことやったんやわな
それが出来やんだら、そこの家はつぶれ
その田んぼも他所の人に渡りというもんやもんで
昔は家が代々続いてゆくことを非常に大事にした

校長先生をしていた九十五歳の男性(鈴鹿市柳町)

山神譚 16

もうそこで盛大にしとったんやに
これの何倍て、どんど、どんどて言うてね、子供がな
氏子がみな赤飯持ってきてね
ぜんぶに食べてもうてね

-それは12月7日に?
そうそう、だいたいね
ここらだいたい7日が多いね

ここは昔はね、公園出来る前は溜池やったで
ほでそこにちょっと真ん中に島があって雑草が生えとったもんやで
同時に焼いて、民家も立った時分ですわね
1月の6日、こどもが守したんさ朝まで
ほいで7日に自治会の氏子さんがほんとの山の神さんの行事
ちょっと火を焚いて、赤飯を焚いて、参拝者に食べてもうとったですわ
もうこの近くではあんまりないと思うよ、こういう山神

-山神とは?
一応これは田の神さん

ほんとのご神体は、ド忘れしたわ
決まっとんのご神体は、山神さんのご神体はな
行事としては初歩的な、田終わって、山に帰ってもらうちゅうことやな。
ほんで今度春また、御鍬祭で
御鍬祭の時は神さんを呼ぶために神事があってな

ちょうど、今から200年前か
このまだ200メートルくらい西のとこがお宮さんやったん、旧お宮ね
ほいで、明治41年の太政官命令ちゅうて国の命令で
経費がようけいんで、節約せえちゅうて統廃合したん
いったん、ここらの飯野村では安塚のお宮さんへ合祀させてもらって
ご神体をね
ここへ変わってきたのは100年祭の時や

山神神事に参加していた男性(鈴鹿市地子町)

山神譚 15

山神さんは管理はどのようにしている?
注連縄かえと、お供えは、子供の行事でやってます

-子供が集まって?
昔やったらご飯食べて、泊まって、宿作って
竹で梵天ついて、歌みたいな感じで
刺して、刺した人にみかんわたして

-梵天にみかんを刺す?
ちがう、みかんは別にある
今はしてない、子どもがおらんでわからん

-12月7日?
いや、いつかわからん

-宿を作っていた時代とはちがう?
もうあの、集まらへんね
以前は各家庭で持ち回りで

-この町は山神が多いが、この一基はわからなかった
4つくらいある
家の中にも小さいのがあるんやけど
丸い石がある


~庭の端の茂みに案内される~


ほんとに魂が入っとるかどうかわからんけど
これは家の家族代々お供えをしたりした
先代、僕のおじいさんしかしらないけど
その前はどうなっとたかわからんけど
多分、一緒のとこにあったんでしょ
ここじゃないけど、前の家の場所にあった

-言われなかったらわからないが、松の木の存在が物語るものがある
家で祀っているだけ、正月は母親がやってましたね

-いわれは?
聞いてないですね

自宅の庭で山神を祀っている男性(鈴鹿市矢橋町)

山神譚 14

ずっと昔からね
私らの小さい子供の時分は、この海の砂浜がようけありましたもんで
そこで大きな松明を作って、火も焚いて、小屋も作ってな、藁を
そこで真ん中で大きな火を焚いて、焼き芋焼いたり
そういう行事がありましたんやわ
私らの子供の時分は

-砂浜で?
砂浜なくなったもんで、そこに市場もできたし工事したりで
そこで大きな松明を二つくらいして、十二月に

-ずっとこの堤防沿い?
いつからかな、覚えないな
もう五十年くらい前からここにあったと思うけどな
もっと前にどこにあったかは覚えない
鳥居もさ、建て替えてさ
私とこも寄付させてもろてさ
お父さんの厄の時くらいに、させてもうてさ
私とこは主人が大工しとったもんで
上の方がぼろぼろになってくると
「お父さん、もうだれもしてくれんで」って
昔は町にも大工さんようけおりましたんやわ
亡くなったりして、もうおいならへんけどさ
「お父さん、寄付したる人おいならんのやな
またせなあかんな、もう一回くらいしよかな」て
材料用意してましたんやわ
そしたら、南のほうにみえる方が
「私、厄やでさしてもらえやんかな、
あんたとこしてくれる言うとったけど
わたしとこにさしてくれやん?」と
どうぞどうぞとなって
息子が大工しとるもんで
材料も揃えて用意してましたんやわ
その人が寄付してもうて名前も横に入ってます
もう名前も消えてっとるやろやど
もう六年か、あそこに書いてあるやろけど

-窯を使うというのは?
跡がありますやろ、そこで窯をな
昔おくどが作ってありましたんやわ、壊れてたもんで
いまはホームセンターで売っとるのかな、窯を
ドラム缶の小さいようなやつを、湯を沸かしてますのやけど
そいで笹、笹を切ってきて、大きいのを四隅立てて
ちゃんとしめ縄みたいのしてね
大きな笹を束にして、湯につけてさ
それを湯の華いうて被してもらいますのやわ
ほて帰りは一本ずつ、参りにきた人はいただいて
玄関に飾っておきますのやわ

-子供の祭り?
昔は子供の祭りいうてな
町内の番の人が、おにぎり作ってな
味ご飯のおにぎりを作ってもらって
一軒前に五、六個ずつもらいに来ますのやわ
昔はかしわとかじゃなくて、煮干しな
煮干しを入れておいしかったけどな
山神というと煮干しの入った味ご飯をいただいたことあるけどな
私が二十歳くらいの時にはしとった
そこに工場が建ってなかったもんで
むしろで二十畳くらいある小屋を作ってな
その中で大きな火を焚くんやわな
そこで焼き芋焼きにいったりな
私が結婚した時くらいまではあった覚えがあんのやけど
工事とかなんかしてなくなったもんで、する場所もないし
これ(山神碑)はなかったと思う、子供の時分は
場所ないで、ちょうどここが地所もらったんかな町で
堤防は県の土地やもんで、そこにもらったんかな
そこのとこは記憶ないけど

海沿いの山神碑の横に暮らす女性(鈴鹿市若松東)

山神譚 13

-山神の神事はやめた?
昔はやっとたけど、今はせんなった
飾りはやってますけどね
老人会が解散なってやめてしもた、どうもご苦労さんです

-三、四年前までしてましたよね?
そうですね
12月の7日と、1月の7日はしてました

-去年(2025年)は?
去年はしてません

-老人会がしてた?
あの草刈りしたり、あの注連縄とお神酒なんかは
あの、自治会が

-老人会が解散した?
そうですね

-昔のことを聞かせて
そうですね、年寄りの方がようけね、
遊びがてらというか
もうね、私が来た頃は、もう4時ごろなると
みな、各自、薪やあんなん持ってきてね
ほでどんど焚いて、お餅

-当時は子供が?
子供がしてたんです
子供も、もうここの部落あの、町内は3、4人しかおりません
みな、新興住宅へ、新しい
だんだん減って、年寄りも亡くなられて

-山神は何と聞かされている?
べつに私は分かりませんけどね

山神碑の前に住む女性(鈴鹿市稲生町)

山神譚 12

私は山神のことはよう知らん
そこの田んぼの水路の横にあったやろ
あれは田んぼをしとった時に出てきたのを
そのまま祀ってある

在所にも山神さんあったけどな
私の在所は片田でそこを訪ねな
私の弟がおって何でも知っとるから
私の写真は取らんでええ
こんなばあさん恥ずかしいやろ

そこの白菜持ってきな
あんた鎌の使い方知っとるか

畑で作業をしていた女性(津市分部)

山神譚 11

ここは昔は街道やったから
木戸には地蔵さん
庭には山神さんを祀っている家が多かった
木戸って言ってもわからんか

今は祀ってる家も少なくなってきたな
うちも地蔵さんは寺に預かってもらった
子供らも出ていく家が多いし
山神さんの守りをするもんがおらんくなるからな
このまま置いといて災いがあると困るやろ
残しておくと子供らがかわいそうやで
そのうち預かってもらおと思っとる


庭先で野菜を干していた男性(亀山市阿野田町)

山神譚 10

山神はな岡山ちゅうとこの上にな
もとは山神がありましたんや
それをな明治の合祀の時にな
そこの氏神さんへ
東から天王、若宮八幡
こちらには火の神さん
愛宕さん、西には西宮さんちゅう
お宮さんがありましてやな
それを明治の時に
一部落にひとつのとこへ合祀せえちゅうことで
その時に宮さんの拝殿と神殿との間へさ
山神さんを持ってきましたん
そやもんで、元の所ちゅうのは岡山ちゅう在所のな
北ぺらに宮の上ちゅう地名があんの
宮の上ちゅう地名は、その下に山神さんがあって
その上もやで、畑ですのやけどな
そこを宮の上ちゅう地名にしとったわけ
その前にな、耕地整備で私が中心となって
道をつけましたんやわ
その時の名前をどうしよう言うたら
そしたら、山神さんの宮さんの前にあるもんやで
宮前橋と名前つけましたん
いつ頃からあるのかはわかりません

-明治以前?
もちろん明治以前です
各字ともに明治の時に合祀しましたんやわ

-行事は?
ここではな、あんまりないけどな
うちの家内は、もうひとつ前の野田ですのやわ
山神ちゅうのはな
十二月のいっかやったかな
隣組単位で寄って、子供も全部、大人も集まって
そこのでお餅をついてな
ほいで山神さんちゅう、お祭りがありました
ここでは私の記憶では
山神の行事があったというのはありませんのやわ
おそらく昔はあったと思います

郷土の歴史を調べている男性(津市大里山室町)

山神譚 9

山の神、いまはしやへん
まだここ二、三年前まではしとったけど
もうしやへんだ
もうな時代が変わったで
わしらの子供の時分と
おいらもう九十やでさ

-元気ですね
畑行ってきとんのやない
みんな死んでおらへんがな
いごけるうちにいごかなさ
若いものに迷惑かけるでさ
畑行って仕事してきたんや

-八十年前は?
十二月の七日が山神で
みんなが寄って、火焚いて
子供がしとった
火の番は大人がするのや
ほいで十月の三十一日はかがり火
ほいで一月の七日が山神さんで
それも火焚いとった
三回、今は何にもあらへんの
あんのはお伊勢さんだけや

-二、三年前に辞めた?
若いもんがしやへんで
我々の時には青年団ちゅうのがあったで
学校あがってから
今は青年団ちゅうのはあらへんで
いまは学校あがったらすぐに会社行くで
そんなことや
山の神は百姓の神さん
あっかいご飯炊いて、あっこへあげてくんのや

スクーターに乗った畑帰りの男性(亀山市井尻町)

山神譚 8

山神さんは昔はうちの部落で祀ってました
そのあと大東亜戦争が終えて
新町の人らがここに住むようになって
守りはそちらに任せました

ここは昔は桑畑やったんです
その後はいも畑
戦争が終えて大きい工場が来てから
ここいらも随分と変わりました

山神さんの祭りは子供の時にはしとったけど
今はしてません

-どんな祭り?
随分と昔のことを考えとっても
仕方ありません

インゲン豆を収穫していた八十九歳の男性(鈴鹿市平野町)