山神さんは昔はうちの部落で祀ってました そのあと大東亜戦争が終えて 新町の人らがここに住むようになって 守りはそちらに任せました ここは昔は桑畑やったんです その後はいも畑 戦争が終えて大きい工場が来てから ここいらも随分と変わりました 山神さんの祭りは子供の時にはしとったけど 今はしてません -どんな祭り? 随分と昔のことを考えとっても 仕方ありません インゲン豆を収穫していた八十九歳の男性(鈴鹿市平野町)
一個うちが、草ぼうぼうになっとるけど 山神さん言うても、普通に祀ってあるだけやに -石? 家の中で祀るじゃないですか、この辺は 神さんと仏さんと、ほんで山神さん -そこの茂み? はい、このへん気をつけやなあかんの 蛇がおるで、マムシこのへん多いの 私それだけは言う 寄らん方がいいと思うけど ここから上がってって この木の端、あれがそう -家で祀っている? そう、そやけど昔はな 神主さんが毎年来てくれたんさ けど今は、ちょっとな来てくれへんで ときどき刈るだけで やっぱ神主さん来てくれるとさ きちんと一年ずつするんやけどさ -来てもらう時期は? いつやったやろ、覚えない私 昔はな、きちんと参ってくれて そやけどなお供えするのはな お酒とお塩と榊もってきて あのそこへお鏡さんをもって行くの、正月はな あくる日来たらないです 狸かなんかがおると思う -いわれは聞いてる? 聞いてません、聞いてへん私は でもな何か石みたいな このへんの上にもあるんさ 茂みに祀られている山神の守をする女性(鈴鹿市山辺町)
女性-みんなどこでもこどもあれやでな 山神さんはどこでもあるな、いなかは 桑にも御鏡さんあげっとったよ 終戦からこっちへちょっと途切れたでな そんなで空襲やらで危ないでて、途切れたでな 男性-昭和19年の山神やったかな、東南海地震やったかで 女性-あれはえらかったわな、12月の7日 男性-天名小学校が地割れしたんやもん 女性-うちらそやに、道もみな地割れしてさ。わたしら小学校の低学年やろ 何が怒ったんかわからんと、立っとれやんだ。もう道へ座ったもん そしたら運動所や道はずっと地割れ 男性-せっちゃん三年生やろ。おれ一年生や 女性-ちょうど学校から私ら帰るときやったん ほいでから今度は年明けて、1月の12日がその余震がまた来てさ その時もえらかった 男性-よう余震来たな。あの後な 女性-そやでそとで小屋作ってもうて。昔はどどべいがようけあったやろ そやさかい、夜に外出たら危ないでて。どこでも田舎やで庭が広いやん 私とこら藁でずっと囲って、トタンでしてくれてさ。 ほいでさ、布団がひとつ置いてあったもん。 そいでそこで夜は寝よった。もうしょっちゅう余震は。 -それが山神の日だった? 女性-一番最初はそやった 男性-昭和19年の12月の7日 男性-それからほんとは、余震ちゅうのな。11日の夜中の地震は私よう忘れやん こわかった 覚えとるもん、日にちも、こわかったで -山神信仰はなくなりつつある? 女性-なくなってはおらへんな あそこに石がこけとるで、なおさなあかん、なおさなあかんておもいながら そのまんまになっとる 無闇矢鱈にようよういらわんで ゲートボールをしていた女性と男性(鈴鹿市徳居町)
-山神どこ? すぐそこ、すぐそこにあります -ずっとこの場所? ちがう、耕地整理してここに変わったけどな もとはもうちょっと向こうの方やな、いまの電信柱くらいやな -昔から石が置いてある形? そう、ほて鳥居もあったんやけどな、昔は -過去の行事は? 昔のこれ、あれやわな、田んぼやあんなの守り神みたいなもんやわな ほんで子供の時分でどんど炊いたり、あんなんしてましたやけどな、今はしてない もう50年くらい経つな あれして、辞めてから 子供が集まって、中学校まで うちらの時分はまだしとったけどな、3年生くらいまではしてました 子供たちは楽しみにしとった、寄ってあれすんのはな そいう風に昔からしとったであれやわな、昔からどんど炊いて祀っとったわけやわな -人に聞いて来たが場所がわからなかった こんなんわかんにくいわな 秋なんかは神主さんもまいってもうとったんやけど 青年団の時分はちゃんと祈祷してもて、今はしてない 秋祭りやわな、10月の4日時分にしとったんやわな 昔は4日と決まっとったんやわな、昔は土日もあらへんで うちがいつでも草の管理してますで ほんとは町のあれやけどな -だれも守りはしていない? してない、町もなんにも知らん顔やな 草まるけになるもんでさ、草やあんなをみなあれしてますのやわ 山神の守りをしているご夫婦(鈴鹿市箕田町)
-いつからある? 山の神さんはわしのおやじの、その前の人 おじいさんの弟やな もろて来たんか、どうしたものか知らん -小さい頃にはあった? あったあった -地子町にふたつ? ふたつあります ひとつええのはそこ(神社)に座っとるやろ こっちはちっかいで、変えたんかなんか知らんけど 在所の人が持っとって、それを宮さんを合社せなあかんようなって もう邪魔になったというか、もろてきたというか、なにしたんやろな もともとは在所の西の宮さんの、ちょっとこっちに池があったんや ここのちょっと東にあったんや いまは耕地整理して残土で埋めてしもてな -いわれは? いわれて、別に何にも あそこの東に用水になっとるやろ、蓋してあるやろ 山の神さんのこっちの あそこは昔は、おがんでもらうと清水になっとったらいうな 山やったもんやで 染み出しの水が湧きよったんやろな、あの前から 最近やけど2、3年前やけど、もっとなるか 4、5年前に蓋したんやけどな 防火用水の上にふたつ蓋してな (工事業者が)仕事しとってもどうも上手いこといかんのて なんやらできやんのて それで困っとって きちっとした膳に酒の瓶とカップに酒おいてな 箕田の方(鈴鹿市箕田町)におがみやさんがあんのかな そういう宗教しとる人がおんのかな その人に見てもろたら そこを、山神さんをお参りして、それで仕事するやわな そいでできるに それで上手いこと出来るようになってな それであげていったんやろな、置いてあったわ -いまも徳利やお膳が脇にあった もって来るわけにもいかへんし、横に置いてあるし まだいまでもあるやろな なんか知らん、仕事がうまいこといかんだで あそこを参ったらしいのやな、お酒あげて うちは全然知らんのさ。むこうの人が勝手にお参りしてな そいでうまいことできたらしい、それで礼に参ったらしい 自宅に山神を祀っている89歳男性(鈴鹿市地子町)
50年くらい前までは祭りの日にわらを集めとった 子供が各家庭をまわって3束ほど集めてな その時はどこの家も田んぼをしとったから わらもようけあったんやわ どんどで使う木は宮さんのものをもらってな 学校が終わるとすぐに、宮さんに行って取りに行くんや よその集落と柴の取り合いになってな どこが一番高く積めるかを競争して 電柱くらいの高さまで積み上げとった どんどの火で餅や芋を焼いとったな -山神は何の神と聞かされていた? 親からは山神は火から守ってくれる神様と聞かされとったな 山神の神事に参加していた男性(鈴鹿市稲生町)
庚申さんちゅうのがあるの 山神は庚申さんあるやろ 庚申さんの向こうっぺら、石があるやろ それが山神 登ってくと、あこが庚申さんあるやろ ほと庚申さんこうゆうふうにあって その向こうっぺらに、石があるやろ それが山神 -いま見てきた。ずっとあの場所に? そうそうそう 庚申さんちゅうのは、この組と向こうの組がしとるわけ ほいで毎月掃除してさ、順番に掃除してな、いくの ほいで12月の7日に山神があんの 10月の第一日曜日が庚申さんのあれをやるんですわ 昔からあそこに 庚申さんは祠に入っとるけど、山神は石だけやわ -なぜ?山神は外に? 知らん。わしらの子供の時分からそうあんの -今と昔の変化は? いや変わらへん。庚申さんちゅうのはのぼり立てんのやわ のぼりをな。だけどそののぼりもさ。こっちゃこう、入れてあんのやけど コロナで何年かやっとらんやろ?腐っとるで、今年もどうするかなちゅうてさ。のぼりな。 のぼりはあんの。 -庚申さん、山神さんのいわれは? 庚申さんはなんの神さんや。山神はあれやけどさ 山のあれで、農家のあれで、あれでさ 他のことでも山神はあると思うのやけど、向こうの部落でも ほやけど、人間減ってきたやろ だからな、みなもな止めとこかてなってくるわな -昔は人が集まっていた? 昔はな。ここらの町内だけやけどな だけど昔は15軒くらいあったんやけど、もう10軒くらいこそあらへん -こっちは新しい町? こっちはみんな新しい だからこっちゃの組は入ってきやれやんわけやわさ新しい人たちは 色んなしきたりがあんで、な -庚申さん、山神さんの守りなどがあるから? そうそうそう 新しい人が入ってきやへん 積み立てた金と、そんなんありますやろ 順番とかあんで、だから新しい人が来ても ここらの組は入ってきやへん 町内を歩いていた男性(四日市市釆女町)
伊勢街道沿いに道祖神として各地にあるんですわ 道祖神やわな。村を守るための。東西南北にあるという 昔の人はそれを信仰して作ったんやわな 昔はここまでしか家がなかったん。ここで最後やったん 玉垣(鈴鹿市)の宮さんから、ここまでちょっとも家があらへんかったん 真ん中に道路がついとるやろ あんな道路あらへんだんや。わたしらが子供のころにはな 空襲警報にあうと、アメリカの飛行機が田んぼすれすれに降りてくるの 麦畑の中に飛び込んだり、稲の中に飛び込んだり 空襲警報さけながら学校から帰ってきた ―山神は戦前からこの場所に? 戦前からあります この木はエノキの木やけど、その前に大きな松の木があった それは海軍が油を取るのに、松脂から。そんで切ってしもたん 西玉垣にも大きな木があるやろ 戦後残った唯一の西玉垣の松の木 あれいま三重県のなんか、記念物になっとらへん この山の神さんが、こことむこの端、肥田の宮さんの入り口と こっちの方に入ったとこと、四つあります これを行って、向こうから入ってからどやろ 30メートルくらい。こっちから入ってく、せばい道があります 入ったとこの行き止まりが山の神さん ―そこも町の辻? むかしの端っこや、こっち側にもあんのや 豆腐屋店主の男性(鈴鹿市肥田町)