山神はな岡山ちゅうとこの上にな
もとは山神がありましたんや
それをな明治の合祀の時にな
そこの氏神さんへ
東から天王、若宮八幡
こちらには火の神さん
愛宕さん、西には西宮さんちゅう
お宮さんがありましてやな
それを明治の時に
一部落にひとつのとこへ合祀せえちゅうことで
その時に宮さんの拝殿と神殿との間へさ
山神さんを持ってきましたん
そやもんで、元の所ちゅうのは岡山ちゅう在所のな
北ぺらに宮の上ちゅう地名があんの
宮の上ちゅう地名は、その下に山神さんがあって
その上もやで、畑ですのやけどな
そこを宮の上ちゅう地名にしとったわけ
その前にな、耕地整備で私が中心となって
道をつけましたんやわ
その時の名前をどうしよう言うたら
そしたら、山神さんの宮さんの前にあるもんやで
宮前橋と名前つけましたん
いつ頃からあるのかはわかりません

-明治以前?
もちろん明治以前です
各字ともに明治の時に合祀しましたんやわ

-行事は?
ここではな、あんまりないけどな
うちの家内は、もうひとつ前の野田ですのやわ
山神ちゅうのはな
十二月のいっかやったかな
隣組単位で寄って、子供も全部、大人も集まって
そこのでお餅をついてな
ほいで山神さんちゅう、お祭りがありました
ここでは私の記憶では
山神の行事があったというのはありませんのやわ
おそらく昔はあったと思います

郷土の歴史を調べている男性(津市大里山室町)